親は一億パーセント間違っている

怒りを抱えている方、それを自覚していない方、一緒に怒りましょう!

Your anger is the gift!

こんにちは、呉田・アングリー・美歌です。

「怒り」はあまり良くないものとされています。

まあ、確かにそうです。いつも怒っている人と、ニコニコ笑っている人では、後者のほうがいいと私ですら思います。

でも、社会に何かもたらすのは、ニコニコ笑って不満のない人ではなく、何かに対して怒りを抱えている人ではないでしょうか?

「怒り」にはエネルギーがあります。良かれ悪しかれ。

ですが、秋葉原の事件や、最近多い親殺しの事件のように、それが悪い方向に向かったらいけないと思います。ですが、それをいい方向に向ければ、自分自身を高めたり、誰かの役に立つことにできるんじゃないでしょうか?

私がこう思うのは、昔こういう話をネットで目にしたからです。

親への愛憎で悩んでいる人に向かってされた話で、伝聞の伝聞のようなもので恐縮ですが。

ある女性がいて、その女性は母親からひどい虐待をされ、お兄さんからも性的虐待を受けていました。

母親が死に、お兄さんも自殺して、彼女を傷つける人はいなくなりました。

でも、昔のことがトラウマになってしまい、社会復帰ができないままでした。

色々なカウンセラーやセラピストにかかりましたが、皆言うのは

「忘れなさい」

でした。

でも、どうしても忘れることができず、ずっと社会復帰はできません。

ある日、一人のカウンセラーに出会いました。そのカウンセラーは

「あなたの怒りを忘れるな」

と言いました。

そして、その怒りを踊りで表現しなさい、と言いました。

そうすると、彼女は自分の傷を癒すことができ、同じ方法で人を癒すカウンセラーになり、見事社会復帰を果たしました。

カウンセラーでなくても、皆「怒り」というのは「忘れろ」というのが「大人」とされています。

しかし、忘れられるような「怒り」なら、アドバイスされる以前に自分で忘れていると思います。忘れられないから苦しくて辛いのです。

お前に言われて忘れられるならとうに忘れとるわ、バーカ! と言ってやりたいです。

忘れられない記憶を思い出してフラッシュバックに苦しむのなら、忘れたほうがいいかもしれませんが、それほど辛いのなら、あえて忘れない、というのもありだと思います。自分を苦しめたり、その苦しさを他人や社会に直接ぶつけて犯罪に至ってしまうのではなく、それを上手く転化させればいいのではないでしょうか?

イジメられたのなら、そいつらを見返すために偉くなろうとしたり、傷つけられた記憶があるのなら、同じような痛みを持つ人に寄り添ったりすることができるのではないでしょうか?

無論、このように上手く行くわけではありません。ブルー・ハーツの歌のように「弱い者が更に弱い者を叩く」「傷つけられた人間が同じことを他人にする」ということが起こります。

音声動画で触れましたが、母親に精神的虐待を受けた女性と軽いトラブルを起こしたんですが、彼女からの絶縁メールで、ただ単に「あなたとはやっていけません、さようなら」という言葉以外にも、人を不愉快にする言葉が添えられていて、私は心底ぞっとしました。その言葉の陰湿さに、彼女がどのように彼女の母親からネチネチといじめられていたのか想像できたからです。私は、「あなたはお母さんと同じことを私にしていますよ」と言おうと思いましたが、「私はあんたの母親じゃない!」と、斜め上の返事をしそうな方だったので、メールを無視してそのまま終わりました。

カウンセラーになった女性は、自分を傷つけた人が死んでいなくなりましたが、彼女の場合は、まだ親が存命で、あれやこれやと彼女が拒んでも干渉をしようとしてくるようでしたから、少々事情が違うのでしょうが。

少々話が逸れましたが、自分の中に「怒り」がある、それを何とかしたいんだ、忘れようとしても忘れられないんだ、というところから出発できるのなら、少しは違うと思います。

私も上記の彼女の言動には不愉快にさせられ、「怒り」を覚えましたが、それをこのように「こんなことしちゃいけないよ」と自分を戒めたり、客観視する教材にすることができました。

誰かに傷つけられれば、傷痕になります。でも、少しそこが固くなり、他のところより少し丈夫になります。その傷痕は誇りにしてもいいのではないでしょうか?