死にぞこないの唄

一度死にかけて帰ってきました。

愛と言う名の暴力

こんにちは、呉田・アングリー・美歌です。

よく、「愛ある鞭」とかって言いますよね。それって、暴力を振るう側の勝手な論理だと思います。そりゃあ、人に怪我させたり、意地悪をして傷つけるようなことをしたら拳骨の一つも必要かもしれません。ですが、やる気がないとか、無気力とかというので、「闘魂注入」とばかりに暴力を振るうのは、ただ単に指導者が自分の指導力不足を露呈しているとだけだと思います。

よく、「今の子はちょっと怒鳴ったり、拳骨したくらいでやる気をなくす」と言いますが、そりゃそうでしょう。失敗したりしたら、自分だって、ああ失敗したと思い落ち込むのですから、そんな時に

「なんだあの失敗は! 本当にお前はダメだな!」

と、いくら叱る側が「強くなって欲しい」と思って言ったとしても、落ち込んでいる気分に追い打ちをかけるようなものです。

前にも書きましたが、数十年前は、まだ共同体が機能していて、先生に拳骨を落とされても、近所のおっちゃんやおばちゃんが「そんなの気にするな!」などと、フォローしてくれる体制がまだあったから、暴力や、脅しのような指導(これを指導とは呼びたくないですが)でも、なんとかなっていたのです。

沖田×華さんが、

モンスターペアレンツというのが増えているのは、自分が子供のころに理不尽な扱いを教師から受けて、そのせいで教師に不信感や憎しみを持っている親が増えたからじゃないのか」

と仰っていましたが、私もそう思います。

「愛があるから暴力でも相手は分かってくれる」

というのは、

「愛あるレイプだからいいんだ」

と言っているようなものだと思います。

愛があろうがなかろうが、暴力を受けたほうからしたら、ただの暴力です。

子どもといえども自我があるのです。何となく理不尽な扱いを受けたと思っても、周りが

「お前が悪いからだよ!」

と言われると、「自分が悪いのかな?」と思いつつも、どこかで、「いや、自分は悪くない」という思いがあり、そこで苦しい思いをするのです。

子どもにやる気を出させる方法は色々あるでしょうが、私が本やコンサルで学んだのは。ああしろこうしろと教える側が指示するのではなく、子供や生徒に問いかけ、

「こういう場合はどうしたほうがいいと思う?」

と、子供や生徒自身に考えさせる、という方法だと思います。

勿論、それに助言をするのは必要ですが、重要なのは自分で考え、自分で答えを出すということです。

今、日本の国力が低下しているのは、そういう、上から教えられたことばかりを何も考えずに飲み込んで、自分で考えるという訓練をしていないからだと思います。それでは新しいアイディアや、楽しく仕事しようという自律性を持った大人は生まれないでしょう。

子どもはただ大人の言うことを聞いていればいいという考え方は間違っていると思います。