死にぞこないの唄

一度死にかけて帰ってきました。

村はずれの狂人

こんにちは、呉田・アングリー・美歌です。

西部邁という保守系の知識人が言っていたことですが、

「知識人は村はずれの狂人でいい」

と。

普段は村はずれに住み、自分のペースで畑を耕したりしながら村のサイクルとは違うサイクルで暮らし、村で困ったことがあった時に意見を求められたら意見を言い、それが役に立てばちょっとした謝礼を貰い、役に立たなければそのまま捨て置かれ、村での困りごとが終われば、また自分の暮らしに戻る。

間違っているかもしれませんが、大体こんな感じのことを言っていたと思います。

西部氏の言いたいこととは違うと思いますが、私はこれは発達障害者、特にアスペルガーの人に適した生き方だな、と思いました。

近代化によって得た物も大きいと思いますが、進んだことで失った物も大きいと思います。

特に、学校教育によってです。

私は学校教育を全て否定しません。それに適応でき、上手く進んでいける人はそれはそれでいいと思います。それほどお金がない家庭の子どもにも勉強を教えるというのは、いいことだとも思います。

まだ買っていませんが、ホリエモンが「すべての教育は洗脳である」という本を出していますが、中身を知らないので何とも言えませんが、タイトルだけでも当たっていると思います。

私は「子供の個性を殺す教育はダメ」とも思いません。学校教育ごときで殺される個性ならば殺されてしまったほうが楽だと思いますから。

けれど、発達障害などのある子どもを、無理やり「健常者」に仕立て上げなければダメ、という風潮にも疑問があります。「ありのままでいい」と甘やかすの違いますが。

少し話が外れましたが、色々と問題を言われるネット社会ですが、案外、「村はずれの狂人」的生き方がし易い世の中になったのでは? と思います。

私がコンサルを受けている先生も、「普通に会社に雇われて毎日満員電車に揺られながら生きる」という生き方とは違う生き方をしています。

私は以前書いたように、「発達障害には豊かな才能が眠っている」というようなことはやめてくれ、と思っています。

moti1983.hatenablog.com

 

ですが、普通の人とは違う発達障害独特のものの見方ができれば、その人は村はずれの狂人でありながら、村の人間にあれやこれやと相談を持ちかけられ、謝礼を莫大貰えるような生活ができるのではないでしょうか。

無論、普通とは違う生き方は大変ですし、発達障害の人全員がそういうことができるとは思いません。

ですが、ここ2・30年の「空気読めよ」と言って、皆と同じであることを強要する静かな暴力を行う風潮から逃れて、自分一人で自分のペースで自分なりの生き方ができる素地ができているのではないでしょうか。

「バカでもできる仕事」というのも必要ですが、「バカでおもろい奴しかできない仕事」というのは徐々に需要ができていると思います。

私もできれば、発達障害独自の生き方をしていきたいと思っています。