親は一億パーセント間違っている

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「生きにくさ」のそれぞれ

こんにちは、呉田・空気クラッシャー・美歌です。

先日、ヴァニラ・エアが車椅子の男性を腕だけで上らせたことが話題になりましたよね。

SNSではこの男性について、様々な意見が飛び交いました。

中には批判的な意見を述べる人もいました。

まあ、私自身はこの件に関してはどうでもいいのですが、中には結構厳しい意見を言った人もいたかもしれません。

時折、障害者やLGBTといったマイノリティの人たちが自分の生きる権利を主張すると、マジョリティからは批判的な意見が出ることがよくあります。

私自身、発達障害者というマイノリティですが、なぜそういう意見が出てくるのかが解ります。

それは嫉妬です。

障害者、今回は身体障碍者にしますが、やLGBTと言った人たちの「生きにくさ」というのは「形」になっており、非常に解りやすいです。

「足がないと歩けないから大変だね」

「好きな人と結婚できないのってつらいよね」

と、同情が得られやすいものですし、支援の方法も確立されているか、されやすいです。

その「生きにくさ」を支援することを間違いだのひいきだの言う気はありません。

生きる権利を主張するのも、別にどうとも思いません。

ですが、「生きにくさ」とは、身体障碍者LGBTの人たちにだけあるものでしょうか?

健常者やマジョリティ、所謂「普通の人」にも「生きにくさ」を抱えて生きている人はたくさんいます。

また、発達障害精神障害などの解り辛い「アタマ」の障害を抱えている人間の「生きにくさ」は中々理解されない、それどころか、理解しようとすらしない人もいます。

もし、身体障碍者の人が車椅子を使ったりするのを「甘え」と言ったりすれば批判が殺到するでしょうが、発達障害の人が忘れ物をなくすためにIT機器を使ったりするのを、「機械がなきゃそんなこともできないのか、これだから発達障害はダメなんだよ」と言っても、大して批判されないどころか、賛同する人すら現れるでしょう。

この差は大きいでしょう。

同じ障碍者でも方や同情され、方や非難される。

それに、障害ではなくても、容姿が醜い、頭があまりよくない、要領が悪いといった、「人より少し劣っている」レベルの人が、下手な身体障碍者LGBTより苦しい人生を送るのではないでしょうか?

はっきり言って、チビでデブで不細工で馬鹿で臭くてキモくて、恋人どころかキスやセックスもしたこともない50過ぎで非正規雇用で年収200万以下、という健常者と、イメージの良かったころの乙武さんのような身体障碍者で、障害者枠を使い大企業に就職し、パートナーもいて、というような人ではどちらが幸せなのでしょう?

無論、外から見ただけでは人の幸せなんて解りませんが、一応は後者のほうがいいのではないでしょうか?

それに、形にならない「生きにくさ」を抱えていることの何が辛いかと言うと、「辛いと言うことすら言えない辛さ」なのです。

前述したような底辺にいるような健常者が「自分は醜くて誰からも愛されず辛い」と言うのは、相当の苦痛を伴い、更に、言っても同情されるどころか、嘲笑の的になったりします。

これ以上は長ったらしくなるのでやめますが、こういう「不幸な健常者・マジョリティ」が、嫉妬をして身体障碍者LGBTを叩いているのだと思います。

それはいいことではないでしょう。しかし、私にはその気持ちがよく解ります。

ちょっとくらい呟きたくなるでしょう。

「五体満足だってだけで不満も言えない辛さがお前らに解るのか?」

と。