死にぞこないの唄

一度死にかけて帰ってきました。

入院日記

*入院していた時に書いた日記です。その日その日あったことをダラダラと書いたものですので、細かい突っ込みはご遠慮ください。

 八月某日

涙が止まらない。生きることを考えると苦しくてたまらない。
ちゃんと生きたい、大人になりたい。
このまま年だけ取っていくのかと思うと怖くてたまらない。
二十歳くらいの時も同じことを考えて怖かった。10年以上も経つのに何も変わらない。私は一体何をしてきたのだろう。全ては自分のせいなのだから、余計悔しい。
作業療法士の方に、退院後の仕事について話す。
「ペットボトルの仕分けとかどうですか」
と言われた。発達障害者や精神病の人間にはそんな底辺な仕事しかないんだろうか? えり好みをする権利もないんだろうか? 悲しくなった。

「モンスター」という映画を思い出した。主人公のアイリーン・ウォルノスは12歳の時から売春婦をやっていて、まともな教育も仕事もしていない。セルヴィーという同性愛者と出会い、彼女のためにまともな職に就こうとするが、やはり「底辺」の仕事しかない、彼女だって別に娼婦になろうとして娼婦になったわけじゃない。小さな頃から暴力を受け、家族を食べさせるためだ。ただレールから外れただけで「底辺」になってしまう。「アタマ」がおかしい人間には「底辺」しか用意されていないんだろうか。こう言ったら、「頑張ればなんとかなるよ」と言われるかもしれない。でも、「普通の人」が「普通」に手に入れる幸せを、病気になったとか、目に見えない障害があるだとか、頑張るべき時に頑張らなかっただとか、ちょっと「失敗」しただけで死ぬほど頑張らないといけないんだろう? 所詮レールから外れて、そこに戻れない悔しさや辛さを味わったことのない人間の言うことなんて空虚だ。

八月某日

27・8の時に死んでおけばよかった。あの頃にしんでおけば、こんな惨めな姿を晒すこともなかったのに。
今死にたいとは思わないけれど、「なんで生きてるんだろう?」という気持ちがある。生きていても辛い。

八月某日

母が見舞いに来る。ジュースを買ってもらい、お菓子を食べる。他愛のないことを喋るが、気晴らしになる。夜にまた電話したら、昨日に比べて声が元気だと言われた。
昨日の晩、同じ病室に入院していた人が、失禁してせん妄状態になったらしく、保護室に連れて行かれた。正直、ブツブツ言ったり、泣いたりして、鬱陶しかったから助かった。ドアを開けっ放しにして外の音が入ってきてうるさくされたし。
私も昨日、叫びたくなって、頭で壁を叩きそうになったが、しなくて良かった。してたら保護室行きだっただろうから。