死にぞこないの唄

一度死にかけて帰ってきました。

CBM その1

どうせすぐに辞めるでしょうけど、ブレ様の自伝をできる所まで訳していきたいと思います。私のことだからすぐ飽きるけどね。分かんなかったところはお茶を濁しています。

 

 

序文

 

これは過ちについての本だ。貧しさと家族と友情とだらしのない若さゆえの不思議と、必然的に、愛と喪失についての本になる。僕が書きたかったのは、お決まりの「コーラとゴールドディスク」についての回想録じゃない。僕たちがとても有名になって成功したことを話の中に仄めかしてね。誰かに知られたり気付かれたりする前の早い段階で僕はこれを厳しく制限していた。そして、僕がずっとそうであったように、僕らが空想的で正直で、音楽のセンスを得るためにすっかり必死だったころで止めようと決めた。僕は芸術と芸術家を愛してきた。居場所を見つけそこにいようと激しく頑張っている人やことを。ネヴァー・マインド・ザ・ボロックスからミュージック・フォー・エアポーツまで、ブリューゲルからウォーホールまで、テーマの繰り返しを見たことがない。偏愛の表れであったり、単にアイデンティティーの確立に必要なだけであるものとしてのね。とにかく、その熾烈な熱気は非常に僕に訴えかえてくるものだった。逸脱したり、僕の声を生き生きと保ったり、つまらない決まり文句を避けることは不可能だっただろうし、今の僕にはその時期のことをかき集めようという気はない。

 だからこれは前段階のことで、僕が話の後半に持ってきたのは新鮮な遠近画のようなものなんだ。ほら、僕は期待しながら何か新しいことを掘り出しながら、そこにあった僕の過去の化石に屈みこんだんだ。けれど時として、過去を振り返ることは未来を見るよりも価値がないように見えることがある。かつての自分から学び、しばしばやることを避けるという意味において。若い時だけに与えられたあの驚きに満ちた瞬間を時折覗き見るのは、たいていはプライベートなことになる。ずっと僕は何かを書くことを避けてきて、沈黙のベールを好んだ。生来の自己顕示欲にとっては謎なことだけれど、そのようなプロセスの中に含まれていた。けれど、いくつかの理由で、今僕はこれを伝えなければ、という急務を感じている。きっと僕は自分の人生においてあるステージに来たんじゃないだろうか。僕は自分がどういう人間かということに折り合いをつけることに挑みたいのだ。思うがままに自分の過去を捜索し、まるでこれこそがそれを達成しようということなのだ、と。

 

ひーー! 二ページ訳すのに三時間かかった! 集中力切れたのでこのへんで!