死にぞこないの唄

一度死にかけて帰ってきました。

CBM その4

ブレ様自伝翻訳です。文章がおかしいのは、読んだらすぐに訳しているからです。ある程度したらちょこちょこ直したいと思います。
原書読んだ方で、明らかな誤訳や解釈間違いがあったら、是非教えてください。

 

 家は小さかった。とても小さかった。僕の父が死ぬ前、僕は義務を果たすようにクリスマスには家を訪れては、いつもそのおもちゃのような大きさにショックを受けるのだった。僕には姉もいた。可愛いブロンディー。ロマンチックなハンガリーの作曲家、フランツ・リストにちなんで名づけられた。父のピーターが僕の姉の名前を付けた。だから有難いことに、僕の名前は、サンドラ、僕の母親に任された。僕が永遠に感謝しているのは、偶然か天の判断かのどちらかによって、まさに僕が生まれたのはホラティオ・ネルソンの誕生日だったことだ。父のヒーローの一人で、彼の「ビッグ・スリー」の主要メンバーだった。それは排他的で個人的なアイドルのクラブで、ウィストン・チャーチルと前述したリストが含まれていた。何年か後、僕は父が巨大なユニオンジャックの海軍旗を買っていたことを覚えている。それは殆ど家と同じくらいの大きさで、僕らの小さな共同住宅の家に、彼らの誕生日に間に合わせの旗竿で壁にかかげられていた。家族に言い伝えられているのは、恐ろしいことに、僕はほんの少しのところでホラティオと名付けられるところだったいうことだ。けれど、父によると、母は俳優のジェレミー・ブレットにちなんで僕を名づけた。他にも言われているのは、ロジャー・ムーアがThe Persuaders(テレビドラマ。邦題はダンディ2華麗な冒険)で演じたブレット・シンクレア卿からだと。恐らくは未来の出来事への潜在意識の先駆けからだろう。

 そして、僕ら四人はレンガとごみから作られたコンクリートでできた、小さな安い段ボール製の家の部屋に押し込められるのだった。ブロンディー、彼女はじめじめした北向きの寝室に、母と父が閉じ込められたのは見えないくらい小さな夫婦の居留地に。そして僕は、家の端っこの日当たりのいい小部屋に据えられた。僕の子供用のシングルベッドと2・3の擦り切れたオモチャを収納するのには十分な広さがあった。オモチャは、羊毛の兵隊はソルジャーと呼ばれ、灰色のネズミはマウスと呼ばれた。僕がよく鼻を埋めていた嫌なふわふわは、ティヴィーだった。両親がTV Times(雑誌の名前)の懸賞で貰ったものだった。美術学校を出ていた母は僕の部屋の天井に雲を描いてくれた。僕はよく横たわってそれを見つめていた。その少し先の部屋で両親の喧嘩が勃発し荒れ狂っている間、外を行き交う車のヒューヒューという音を聞きながら。

 僕は神経質で、不安におびえている子供だった。不眠症の発作を起こす傾向があり、一人で、カーテンの折り目の頂上に作られたグロテスクな顔を見つめながら起きているという、恐ろしい時間を過ごした。一旦太陽が昇ると、僕は他の皆が起きるのを待っていた。僕らの家の道の奥にあるうち捨てられたキノコ栽培所の近くに生えている二本の木を窓から眺めながらだ。一本を僕はマウスと呼び、もう一本はピエロと呼んだ。それらがうねり揺れるのを突っ立って見つめていたものだった。一見、ずっと続く争いの中に閉じ込められているようだった。ブイのように浮かび、強風の流れと渦に打たれていた。

 

ブレ様の子供時代のことが語られてきますね。面白くなりそうです。