死にぞこないの唄

一度死にかけて帰ってきました。

CBM その5

ブレ様自伝翻訳いきます! 明らかな誤訳・解釈間違いありましたらご指摘よろしくお願いします!

 

色んな意味で、僕の子供時代の躾は異常なまでに正常だった。けれど、同時に奇妙なほどに型はずれで、僕らは絶対に上手く行かないようだと感じた。表向き僕らは優雅なサセックスに住んでいたけれど、僕来の家は観光客が決して訪れないところにあった。町はずれのみすぼらしい場所にあり、少女趣味的な世界の本通りからは遠く離れた所に潜んでいた。僕らは貧乏で、粗悪な共同住宅の赤貧の中に存在していた。でも両親が家をいっぱいにしていたのは、上流中産階級のハムステッドのインテリの生活に近かった。母の絵はそこらじゅうにあり、彼女はそのささやかなキャリア全てをサセックスの田舎で穏やかに過ごすことに捧げた。壁いっぱいに彼女の美しい水彩風景画が飾られていて、自然の成果を複雑に観察していた。彼女の作品がない所には、ヘンドリック・アーフェルカンプと、フィンセント・ファン・ゴッホとオーブリー・ビアズリーの絵がかけられていた。全ての場所を力強い色彩で飾っていた。ミッドナイト・ブルーウィリアム・モリスの壁紙、彼女が造った豊かなベルベットのカーテン。そして勿論、いたる所で耳をつんざくような父のクラッシク音楽が迸っていた。ワーグナーベルリオーズエルガーショパン、そして避けられようもなくどこにでもリストがいた。僕の音楽教育はこの荒れ狂うるつぼで作られたに違いないだろう。ニーベルングの指輪、ハンガリー狂詩曲で鍛えられ、暗く憂鬱な音楽の展望とそびえ立つ壮大なメロディーによって、ブリュンヒルでの胸当てのようにたたき上げられたのだった。父はスリッパを履いて立っていて、赤いシルクのドレッシングガウンから細く小さな毛の生えた脚を突出し、指揮棒で指揮しながら、古いフィリップスのオープンリールが繰り出されている間、素晴らしい唯我論に没我していた。残りの僕らは脅されて座り、キッチンで黙っていた。

 彼は妄想を終わらせることにとりつかれていた。リストについて厳かで半ば宗教的な声色で語り、リストの後半の信仰の旅へのオマージュとして、彼の下級聖職位を処分する考えを軽く見積もりさえしていた。確固とした無神論者としての状況に与えられた馬鹿げた考えだ。一度陪審員として呼ばれたのだが、二週間の空白の後に啓示されたのは、聖書に誓うことを要請されたのを拒否し、彼の言うには、彼が本当に信じていた、リストの伝記に代わりに誓うことを要求した。

 

お父様のことについて語られてきますね。ブレ様はパパンそっくりなんですよね。