死にぞこないの唄

一度死にかけて帰ってきました。

CBM その6

ブレ様自伝翻訳いきます! 明らか誤訳。解釈間違いありましたらお教えください!

 

 白黒の六十年代をサイドカーを付けたBSAのオートバイでヘイワーズヒースを巡航し、母はサイドカーの中で不安げに縮こまって腰かけ、髪型がダメにならないかと心配していた。家族が増えたので、彼が手に入れたのは、オートバイの免許で運転できるリライアント・ロビンの三輪車と当時のシンクレアC5だった。もろいファイバーグラスでできたつばが車輪を覆い、名ばかりの防護と少しの威厳を与えていた。僕が生まれた頃には、僕らをみずぼらしいレーシング・グリーンのモリス・トラベラーに乗せていた。それはとても古くて、九月には腐った木製のサイド・フレームから小さなキノコが生えていた。僕と姉はぽつんと後部座席で、シートベルトなしで、ABBAの歌を歌っていた。高速道路をどんなスピードで運転しても心配になるほど車は揺れた。良く見れば車の床に小さな裂け目が走っているのが見えただろう。信じられないことに、父は2・3年に一回、リストの生誕地への巡礼の途中、オーストリアを奇襲するために運転していたことだ。地面から小さな土のサンプルを取り、それを小瓶に入れ首に身に着けていた。

 

 

すんません。今日疲れてるんでほんのちょこっとだけです!