死にぞこないの唄

一度死にかけて帰ってきました。

CBM その10

ブレ様自伝翻訳いきます! 明らかな誤訳・解釈間違いありましたら、ご指摘のほうよろしくお願いします!

 

 勿論、もっと気楽な時もあった。父は穏やかで寛大で優しく面白く、素晴らしく反物質主義で、八十年代の押しつぶされそうな野心的な空気からは影響を受けておらず、彼の段ボールと絵でできた小さな王国で満足していた。驚くほど現実的で、のこぎりとドリルと接着剤とハンマーと修理を完璧に手入れされた工具の一揃えでいつもやっていた。彼が作ったのは家具と棚と母の絵を飾る額縁と、彼のためのスピーカーの棚さえもだった。あるイースターの休日の時、僕とブロンディーに語ったのは、彼がせっせと作っているのは彼の工具のための棚だったということだ。僕らは困惑したのは、イースターまでに鶏舎用の金網が必要だったことだ。イースターに僕らは庭に導かれ、美しい白い兎をそれぞれプレゼントされた。父は兎小屋をずっと作っていたのだった。

 その兎は僕たちの小さな世界の薄気味悪い存在となった。毎朝僕らはうちの近くのゴミの山を後ろに荒地へととぼとぼと歩き、タンポポを摘み、青葉を選んだ。母がよくそれらの兎に美味しそうな匂いの、温かい、すりつぶされたあらびき粉のような、オート麦とジャガイモの皮からできたものを作ってくれた。ブランディーヌは、目的は不明だが、それをラビットクラブとさえ呼び始めた。会員のただ一つのルールは、メンバー間(二人だけ、彼女と僕)の認識を表しとして、お互いの鼻を捻ることだったように思える。僕のことをよく知る誰もが知るのは、それが僕にとって断ち切りがたい習慣だということだ。

 

ブレ様が玉ねぎがごちそうだったと言っていて、冗談かと思っていたらあながちウソでもなさそうですね。

6月21日修正 ご指摘のほどがあり、ジャガイモの皮とかから作ったやつは、兎さんへの餌だったようです。いくら貧乏でもさすがにジャガイモの皮でごはんはないか。それと、お姉さんの名前はブロンディーではなく、ブランディーヌらしいので、それもこれから修正していきます。ご指摘ありがとうございます!